7月3日 巡礼9日目 トリアカステラ-サリア(18.3Km)

いつものとおり、6時過ぎに起きて出発の準備をしました。部屋は4人部屋で、私達と武田さん、そしてスエーデンから来たマリタという、おばさんでした。朝になって、出発の準備をしようとしたのですが、ずっと寝ているので、思うように準備できなくて困りました。大部屋ですと、他の誰かが起きていたりするので、寝ている人が居ても出発の準備もしやすいのですが、4人部屋で知らない一人が寝ていると、音を立てるのも気が引けます。今回は、自分の荷物を共同スペースまで引きずって、そこで寝袋を丸めたりしました。

そんなこんなで、出発が6時45分くらいになりました。
サリアまでは、短い山岳コースと長い平坦コースがあります。私達は予定通り短い北回りを、武田さんは長い南回りを歩くことにしました。

しばらく山の小道といった感じの道を歩きます。私達の他に歩いている人はほとんど見かけません。村では、牧畜が盛んなのか、牛のウンコがとても臭かったりしました。10時前にちょっとした休憩をしました。私はビールを飲み、息子はアイスを食べました。

12時過ぎにサリアの村に入りました。丁度良い具合にインフォメーションがあったので、クレデンシャルカードに紙を追加してもらいました。これでサンティアゴまで、台紙の残りを気にすること無く、スタンプを押すことが出来ます。

割と大きな新市街を抜け、アルベルゲのある旧市街を目指して歩きました。
旧市街には、歩行者専用の階段を上って行きます。疲れた体には、本当に辛いです。

階段を上ってすぐの所にバルがあったので、アルベルゲが開く1時まで、そこでビールを飲んで時間をつぶしました。そうこうしているうちに、武田さんも到着しました。武田さんの歩く速度は私達よりもずっと速いので、どうやら、距離は短いけど辛い山岳コースを選んで正解だったようです。

アルベルゲには、キッチンはあるものの、食器等が全く無かったので、食事を作るのをあきらめました。まずはシャワーを浴び、洗濯をしました。2階が吹き抜けになっていて、そこに紐を張り、洗濯物を干せるようになっているので、そこに干しました。まぁ、明日までには乾くでしょう。

昼食は、ビールを飲んだところで6.5ユーロの定食を食べました。私の住むバリャドリッドでは、ロースト言ったら、生の豚ロースを指すのですが、ここでロースというと、豚ロースのハムを指すようです。流石6.5ユーロの定食です、ハムはとても薄く切られていました。

郵便局まで歩いて行ってお金を200ユーロ下ろしました。これでしばらく大丈夫です。

武田さんと中華でも食べようという話になったのですが、サリアの村には中華レストランが無いらしく、仕方なく、旧市街で夕食をとることにしました。武田さんはメニュー、一朗はハンバーガー、そして私はカルド.ガリェゴを食べました。余り食欲が無かったようです。食事を終えた頃、ちょっと離れたところで、タコをつまみながら、ワインを飲んでいる人が話しかけてきました。石田さんと言って、やはり一人で歩いているそうです。今日はバスでルーゴに行ったそうで、寄り道などせずにせっせと歩いている私には、石田さんのスタイルがとても新鮮に感じられました。

サリアの村からサンティアゴまで100キロちょっとあるのです。巡礼証明書の発行条件が徒歩で100キロ以上歩くことになっていることもあり、ここサリアをスタート地点として歩く人も多いのです。そのためか、アルベルゲの雰囲気も今までと異なり、なんとも騒がしく感じました。寝るときに今回初めて耳栓を使いました。

明日はポルトマリンまで22キロ歩きます。

camino90
出発時の装備です。 朝、薄暗かったので、息子はヘッドライトを付けています。

camino91
左側へ行くと平坦な長距離コース。 右側へ行くと険しいけど短距離のコースとなります。

camino92
武田さんは左側の長距離コースを選びました。

私達は右側、山岳コースを歩きます。
私達は右側、山岳コースを歩きます。

途中、ワラビが生えていました。巡礼じゃ無かったら、持ち帰って料理すると思います。
途中、ワラビが生えていました。巡礼じゃ無かったら、持ち帰って料理すると思います。

こんな所も通ります。
こんな所も通ります。

サリアの村に入りました。巡礼路は奥の砂利道です。
サリアの村に入りました。巡礼路は奥の砂利道です。

息子の昼食です。ハムエッグとサラダといった感じでしょうか。
息子の昼食です。ハムエッグとサラダといった感じでしょうか。

武田さんとちょっと早めの夕食を食べに行きました。
武田さんとちょっと早めの夕食を食べに行きました。

7月2日 巡礼8日目 アルト・ド・ポイオ-トリアカステラ (12Km)

昨日一昨日と頑張って歩いたので、このまま行くと、予定より1日早く到着出来る事になりました。今日の目的地はトリアカステラ。ミシュランの地図によると、目的地までは峠を下りていく12キロの行程のようです。今日は楽にアルベルゲに着く事が出来そうです。

今日はちょっと遅く、6時45分に出発しました。夜が明けて明るいのですが、ちょっと霧がかかっています。歩き始めで元気な上、今日は歩く距離も短いので、色々と写真を撮ったりしながら歩いて行きました。

しばらく歩いて行くと、道の真ん中に、大きな黒い荷物が落ちているのに気づきました。どうやら寝袋のようです。誰か落としたのだなぁ。と思い、拾って早足で歩いて行くと、しばらくして若者4人組が歩いているのが見えてきました。スペイン語でちょっと待て!怒鳴ったのですが通じません。英語で言っても通じません。どうやら、自分たちが言われているとは思っていないようです。

仕方が無いので、息子に落ちていた寝袋を持たせ、グループまで走らせました。

彼らは落とした事に全く気がついていないようでした。君は運が良いよ!と英語で言って彼らと別れました。

歩いていると、真っ黒い大きなナメクジを何匹も見かけました。バリャドリッドでは一度も見た事ありません。後から調べたところ、コウラクロナメクジと言う種類だという事が判りました。

朝ご飯を食べるために、バルに入りました。寒いからか、バルの中は暖房が入っていました。息子はコラカオ(ココア)、私はコーヒーを注文し、昨日残したボカディーリョを二人で食べました。

トリアカステラのアルベルゲは村の入り口に有ります。そんなこんなで12時前に到着しました。ここで武田さんと再会しました。

出発前に、ある方に巡礼について色々とアドバイスを聞いていたのですが、その方がタッパーウェアは電子レンジしか無いアルベルゲでも調理できて便利だから持って行った方が良い。と言っていたのです。ここまで幸いな事に、タッパーウェアを使って料理をしなければならないような事が無く、ずっと朝食のスナックバー入れとして使っていました。
しかし今日泊まるアルベルゲには、食器は置いていないし、食堂もありませんでしたので、今日はタッパーウェアを食器として使い、庭のベンチで食事を取る事にしました。スーパーに行って買ってきたCarretillaと言うメーカーのサラダに付いていたフォークと、ビクトリノックスの爪楊枝を使って食事を取りました。

ここのアルベルゲ、とても良いところにあるのですが、余り設備は良くなかったです。洗濯桶が建物に1つしか無いのです。(その代わり、洗濯機と乾燥機は2台ずつくらい置いてありました。)部屋には大きな窓があって、西日ががんがん入ってきます。カーテンは無いし、窓がちょっとしか開かないようになっているので、暑くてたまりませんでした。

夕方、武田さんと翌日の目的地であるサリアまでの行き方について話をしました。
サリアに行くには、高低差があり足場が悪いけど距離は短い北回りと、行程は楽だけど距離が長い南回りがあるのです。どちらを行くか一朗に聞いたところ、短い北回りと即答しましたので、私達は北回りで行く事にしました。武田さんは、南回りを行くそうです。さて、どちらが早く着くでしょう。

camino79
息子の後ろ姿です。 まだ薄暗かったので、頭にヘッドライトを付けています。

camino80
でかいナメクジです。そこら中にいました。

camino81
幻想的で良い写真が取れました。

camino82
外で買った食べ物があったので、テラスで食べる事にしました。

camino83
でも、寒かったので、結局中に入りました。

camino84
トリアカステラ村の入り口です。

camino85
アルベルゲの全景です。

camino86
トリアカステラのアルベルゲです。収容人数の少ないアルベルゲによっては、満室になったりするので、来た順番にバックパックを並べます。黄色い蛍光色のバンドのバックパックが武田さん、その次、スティック両側にあるのが、私達のバックパックです。

camino87
私達の部屋です。

camino88
今日の昼食です。

camino89
歩き疲れて、寝てしまいました。

7月1日 巡礼7日目 ルイテラン-アルト・ド・ポイオ(19Km) その2

リナレスの村の入り口にある水飲み場で小休憩した後、また歩き始めました。一応、今日の予定地である、ラ・ラグナ村はとっくに過ぎていますので、次のオスピタル・デ・ラ・コンデサ村まで行こうかな。と思っていました。

村を出てしばらく行くと、小さな礼拝所に着きました。礼拝所の中は無人でしたが、テーブルが置いてあり、勝手にスタンプが押せるようになっていました。
丁度そこに、自転車に乗った二人組がやってきて、彼らと少し英語で話をしました。相手がバルセロナから来たカタルーニャ人だと判ると、話す言葉がスペイン語に変わりました。

どこまで行くのか聞いてきたので、次のオスピタル・デ・ラ・コンデサ村まで行こうと思っている。というようなことを言った所、それはもったいない。まだまだ行けると言ってきました。

アルト・デ・ポイオ村には、お勧めのアルベルゲがあるので、そこまで行くのはどうか?と勧めてきました。食事も美味しくて、余り混んでいないので、お勧めらしいです。道を挟んでアルベルゲが2つあるので、進行方向左側の方だ。と言われました。今日の宿泊予定地は決まりました。アルト・デ・ポイオ村まで歩くことにしました。

Alto de San Roqueの峠で写真を撮ったり、のんびり歩いているうちに、オスピタル・デ・ラ・コンデサ村に到着しました。バルで息子は最中みたいなアイスを、私はビールを飲んで休憩しました。
つまみに出てきた、生ハムがとても美味しそうでした(息子が欲しいと言うので、あげました。)ので、ここに泊まろうかなぁと思ったのですが、頑張ってもう一つ先の村、アルト・デ・ポイオ村まで行くことにしました。

二時過ぎにアルト・デ・ポイオ村のアルベルゲに到着しました。
丁度入り口の所に下水が流れていて、網状のフタがしてあるのですが、息子がストック先端のゴムカバーを引っかけて落としました。まぁ、仕方が無いです。私もサングラス無くしましたし。
着いて早々、まずは併設されているレストランで食事を取ることにしました。
お客さんは、地元の人が1組、巡礼者が私達の他に1組居るだけでした。
巡礼者用のメニューはカルド・ガリエゴ(ガリシア地方のスープ)と豚の骨付きロース一品だけと言うことなので、それを注文しました。

1皿目のスープは、私が知っているカルド・ガリエゴではありませんでした。
2皿目、きちんと料理はしているのですが、雑な仕上げです。
余り満足せずに、食事を終えました。

アルベルゲは個室と大部屋があるらしく、私達は迷わず大部屋を選びました。大部屋の宿泊代金は一人あたり9ユーロで、公営のアルベルゲが6ユーロと言うことを考えると、とても強気な値段設定です。
部屋に入った所、宿泊客は(今のところ)私達だけのようでした。

シャワーのすぐ近くにトイレがあるので、便器を思い切り濡らして、シャワーを浴びました。写真を見て頂ければ判ると思いますが、便器を濡らさずにシャワーを浴びるのは無理です。不可能です。

シャワーを浴びた後、洗濯をして(特に洗濯場がある訳では無いので、洗面台で洗濯をしました。)外に干した後、ソファーが置いてあるサロンに行きました。息子がソファーに寝そべり、携帯で遊んでいたのですが、近くに大きな人形が置いてあったので、ギョッとしてしまいました。アルベルゲでは30歳位の女の人が働いていましたので、彼女が小さい頃に遊んだ物の様です。

私達が泊まっているアルベルゲ(オスタル?)のバルには誰もお客さんが居なく、暗くて寂しいので、道の反対側に渡り、夕飯の為の偵察がてら、ビールを飲みに行きました。ボカディーリョは一人前3ユーロのようです。

私達が泊まっているアルベルゲに戻り、ボカディーリョの価格を聞いた所、一人前4ユーロと言うので、反対側より高いし、余り良さそうな物は出そうも無いと思いましたので、道の反対側のアルベルゲで食べることにしました。

反対側のアルベルゲは、お客さんが一杯いて、なんかスパゲティを大量に作って食べています。ワイワイガヤガヤ楽しそうです。私達は、そこでボカディーリョを注文し食べました。大きいのが2つでしたので、息子は全部食べきれませんでした。残りはアルミホイルに包んで持ち帰りました。

アルベルゲの大部屋に泊まった訳ですが、結局私達以外に宿泊客は来ず、8人部屋を二人で使うことが出来ました。アルベルゲに泊まって良かった事って、まぁそれくらいです。

しかし、私達にアルベルゲを紹介してくれたカタルーニャ人、本当にそこが良かったと思ったのでしょうか?今でも疑問に思います。今から考えると、サンティアゴ・デ・コンポステラに向かっているのに、コースの先にあるアルベルゲの事に妙に詳しかったりと、怪しい所も感じます。

家に帰った後、泊まったアルベルゲを検索した所、評価は悪いようでした。
旅の目的が巡礼ですので、余りブーブー言うのもなんですが、今回の巡礼で一番酷かった宿でした。

camino70
水飲み場を抜けて、しばらく歩くと左手に小さな礼拝所が見えてきました。

camino71
こんな感じで、勝手にスタンプが押せるようになっています。

camino74
側溝の中には、鶏がいました。きっと美味しい卵が生むでしょう。

camino72
Alto de San Roque 峠です。徒歩は右側、自転車は左側を進みます。

camino73
リベイラ・サクラはワインの産地でもあります。

camino75
ここに泊まれば良かったと、後悔しました。

camino78
便器を濡らさずに、シャワーを浴びるのは無理です。 設計が悪すぎます。

camino76
私の知っているカルド・ガリエゴとは違った物が出てきました。

camino77
パンは美味しかったです。

7月1日 巡礼7日目 ルイテラン-アルト・ド・ポイオ(19Km) その1

本日は、難所と呼ばれるセブレイロの峠越えです。
ミシュランの地図でも難所として指定してあり、移動距離はわずか12キロとなっています。
基本的に、ミシュランの地図と同じか、少し少ない距離での移動を計画して予定を立てています。
昨日、予定していた村を一つ通り過ぎ、ちょっと頑張ったので、本日はたった7.2キロ、峠の手前のラ・ラグナ村まで行けば良いことになります。

ちょっと薄暗い中、7時前に歩き始めました。
しばらく、舗装された道路を歩きました。疲れもたまっていないと言うことで、舗装路、気持ちよく歩くことが出来ました。
ラス・エレリアスの村を抜けてしばらくすると、二手に分かれる道になりました。右側が自転車、左側が徒歩での巡礼路となります。ここから非舗装路のスタートです。
ごつごつとした岩肌の上り坂が続きます。非常にきつかったです。なぜこんな坂道、苦労して登らなければならないのか?と無駄なことを考えたりしました。
この辺は、山間部のため、村と村の間が広く、見渡す限り山ばかりの風景が続きます。
レオン州とガリシア州の境にある標識に着きました。高原の何も無い所にあります。巡礼者に写真を撮ってもらいました。
その後、余り苦労すること無く、オ・セブレイロの村に着きました。ここには、太い街道が通っているせいか、お土産物屋が多く結構な観光地のようです。ここで息子はアイスを食べ、私はビールを飲み休憩しました。
この村には104人収容出来る大きなアルベルゲがあるらしく、巡礼の拠点になっているようなのです。事前調査では、シャワールームに扉が無いとか食器が無いらしく、で余り良いイメージを持てませんでした。
すでに本日の予定を越えて歩いていますが、オ・セブレイロの村に着いたのが10時半と早かったことも有り、もう少し先に行くことにしました。
のんびりと休憩したので、元気になりました。7キロ先にオスピタル・デ・コンデサの村が有り、アルベルゲもあるようなので、そこを目指すことにしました。
街道沿いのレストランのテラスで休憩したのですが、街道を見ると何人かの巡礼者が歩いて行くのが見えました。目印になる黄色い矢印が無かったのですが、まぁ、方角的に合っている(って言うか、大きな道はそれしかない。)ので、私達もそこを歩くことにしました。
どうやら、そこは徒歩での巡礼路ではないらしく、前を見ても後ろを見ても、歩いている人は、見つけることが出来ませんでした。息子は、「お父さん、道間違えているよ。戻ろうよ。」と言い出すので、携帯の地図を見せ、(こういうとき、GPSが付いている携帯電話は非常に役に立ちますね。)道が間違っていないことを納得してもらいました。
しばらく行くと、リナレスの村に着きました。道は間違っていなかったようで、ちょっとだけホッとしました。息子の前で不安そうな顔をしていたら、彼も非常に不安になってしまうと思い、歩いている途中は、なるべく不安そうな顔を出さないようにしていました。
村の入り口に、ちょっと休憩できるような場所があり、その脇には、水が出しっぱなしになっている、給水施設っぽい物があります。その形状から、家畜に水を飲ませるように作られているものだと思いました。
そんなに喉は渇いていませんでしたし、無理して飲む必要はなかったのですが、どうしてもこういった、いずみの様な物を見ると飲みたくなってしまう性分なのです。

給水施設の隣には、農機具の修理工場が有り、トラクターをエンジニアらしき男の人二人が直していました。その周りをトラクターのオーナーらしきおばさんがぐるぐる回りながら、男の人に止めどなく話しています。
話している言葉は、ガリシア語です。私は全く理解できませんが、おばさんがブーブー怒っているのは、雰囲気で判ります。
水が飲めるかどうか、聞こうと思って近づいたのですが、全く気にしてくれません。眼中に無い様子です。おばさんの話が途切れた隙を突き、「すみません。そこの水、飲めますか?」と聞いた所、「シー」(スペイン語で”はい”の意味)と答えてくれました。飲めるのが当たり前だろう!と言った感じの返事でした。
水筒にとって、飲んでみました。美味しかったような気がします。

camino62
アルベルゲの共有スペースです。薄暗い中ヘッドライトを点けて出発しました。

camino63
所々、ワラビの様な植物が自生していました。巡礼じゃなかったら、摘んで持ち帰っていると思います。

camino64
ストックには反射テープを巻きました。靴とリュックサックには、どころどころ反射材を使っている所がありました。一種のアクティブセーフティですね。

camino65
他の巡礼者に撮ってもらいました。トランシーバー、すごく役に立ちました。

camino66
ここからカスティーリャ・イ・レオン州からガリシア州になります。

camino67
オ・セブレイロの村です。観光地化されています。

camino68
嬉しそうに水をくんでいます。

camino69
飲んでみます。

6月30日 巡礼6日目 ビリャフランカ・デル・ビエルソ-ルイテラン (20Km)

今日はいつもより早く、6時10分頃に歩き始めました。
日の出前のスタートですので、初めてヘッドライトを装着しての出発です。
私がペツルのティカ、息子がティキナです。価格もそんなに高くなく、明るくて、私達の巡礼には丁度良い装備のように思いました。
アルベルゲからは、しばらく国道沿いの整備された道路を進みます。
平行して高速道路が走っていることもあり、巡礼路を兼ねている一般道は交通量が少なく、コンクリートブロックで仕切られた十分な幅のある歩道があるので、とても歩きやすかったです。
途中ベガ・デ・バルカルセで一休みしました。ミシュランのガイドブックではここで宿泊することになっていましたが、12時前で元気でしたので、もう少し歩くことにしました。
しばらくすると、ルイテランの村に着きました。ベガ・デ・バルカルセから2キロの距離ですので、本当にすぐ着きました。この村を出ると、次は4.5キロ先のラ・ファバの村までアルベルゲはありません。ガイドブックによると、結構な坂を登らなければならないようなので、結局、ルイテランの村に泊まることにしました。
ルイテランの村は小さく、バルが2つあるだけで、食事が出来るようなレストランはありませんでした。アルベルゲでは食事の用意もしてくれるので、宿泊者はそこを利用するようようです。
シャワー浴びて洗濯をした後、何もすることが無かったので、近くのバルでゆっくりとビールを飲みました。オフシーズンなのでしょうか。長いこと居たつもりなのですが、私達の後には、巡礼者が一人、ジュースを飲みに来ただけでした。

夕食は一人7ユーロ。7時半スタートです。前菜として、カボチャのスープとサラダ、メインがカルボナーラ・スパゲティでした。デザートと飲み物も付きます。きちんと作ってあってとても美味しかったです。

ちょっと気になったのですが、私の斜め前に座ったイギリス人の女性は、飲み物(ワイン)を、全く自分で注ごうとせず、「ちょっとワイン注いでくれない?」って言った感じで、私に注がせるのです。彼女は私には注ぎません。息子の前に座ったフランス人のおじさんは、人に聞くこと無く、自分の皿にサラダを盛ります。
私の周りのスペイン人は、飲み物を人に注いであげたり、人の皿に、コロッケやサラダを取ってあげたりする人ばかりなので、彼らの行為はちょっと不思議に感じました。
私はお節介すぎるスペイン人が大好きです。

夕食が終わった後、ちょっと散歩に行こうと思い、共有スペースである庭へ行きました。
若者達が、トランプをやっていたので、混ぜて貰いました。プレジデントと言う大富豪に似たゲームです。大富豪とはちょっとルールが違うので、ところどころ教えて貰ったのですが、英語だったので辛かったです。それでも何回か勝つことが出来ました。
で、しばらく息子を待っていたのですが、なかなかやってきません。部屋に戻ったら、寝ていました。疲れていたのだと思います。

多分、9時過ぎだと思います。自転車の巡礼グループが同じ部屋に泊まることになりました。自転車での巡礼者はは徒歩と違い、多くがグループで行動するので、ちょっと話しかけにくかったです。

camino55
眠そうな顔をしていますが仕方がありません。飲んでいるのは、他の巡礼者に頂いた液体ヨーグルトです。

camino56
ヘッドライトを装着して出発します。

camino57
ベガ・デ・バルカルセのバルで一休みしました。

camino58
ほとんどが私達の洗濯物です。

camino59
夕食の様子です。

camino60
スパゲティ。とても美味しかったです。

camino61
疲れたのか、息子は早々に寝ています。

 

6月29日 巡礼5日目 ポンフェラダ-ビリャフランカ・デル・ビエルソ その2

その1はこちら。

ミシュランのガイドブックには、ビリャフランカ・デル・ビエルソにはアルベルゲが3件あると書いてあります。その中の民営の大きな方に行こうと思っていたのですが、余りに暑く、歩くのが嫌になってしまったので、村に着いて一番最初にあった、公営のアルベルゲに宿泊することに決めました。

受付でクレデンシャルカードを渡し、必要事項を記入してベッドを確保するのですが、入館したのが、三時近かったと言うことも有り、多くのベッドがすでに埋まっていました。本当は二段ベッドの上下を確保したかったのですが、上段しか空きがありませんでした。屋根裏部屋に当たる部屋には上下で空きがあるそうなのですが、とても暑いと言うことで、二階の大部屋を勧めてきたと言うことも有り、大部屋のベッド上段を2つ確保しました。

これで大部屋は満室のようです。部屋に入り、リュックサックを置こうと思っても、置く場所がありません。仕方なく、ベランダにリュックサックや靴を置くことにしました。こんなの初めてです。

いつもは、シャワーを浴びた後に洗濯をするのですが、暑くてそんな気にもなれませんでした。

7時過ぎに、繁華街に出ました。
アルベルゲを出て、ほんの数十メートル行った先に、泊まろうと思っていた民営のアルベルゲがありました。失敗したと思いました。非常に失敗したと思いました。

しばらく歩きくと、村の繁華街に着きました。
まずは、ビールを飲みにバルに入りました。エアコンが効いていて、とても心地良かったです。ポンフェラダで無くしたサングラスの代わりを購入するために、息子をバルに残し、ちょっとお店を探しに行きました。サングラスは自転車店のショーウィンドウに数個置いてあったり、中国人経営の百均みたいなお店に幾つかありましたが、メガネ専門店は発見出来ませんでした。
仕方なくバルに戻り、お店の人に聞いてみた所、「村に眼鏡屋は無い。でも目的とするサングラスは薬局に売っているだろう。」と言われました。薬局というのに不信感を持ちながらも、言われたとおり、広場の隅にある薬局へ行きました。
中はちょっと薄暗く、変わった雰囲気でしたが、目的のサングラスが置いてありました。
色々話をした所、高いやつと安いやつ2種類あって、それぞれ茶色と灰色からレンズの色が選べる。で、高いやつには偏光レンズを使っているそうです。
無くしたサングラスは、妻がだいぶ前にユニクロで購入したものですし、安い方のサングラスでも25ユーロもするので、安い方を購入しました。
ついでに、肩こりと、かかとの痛みの緩和のために、何か無いかと聞いた所、これが良く効くと言われ、イブプロフェンが配合されているジェルを勧められました。イブプロフェンを外用で使うと言うことをちょっと疑ってしまいましたが、日本でも、ジクロフェナクを使ったジェルとかあると言うことで、最終的に購入しました。
息子のいるバルに戻り、夕食を食べるために、広場に行きました。
写真入りのメニューがある所のテラスで食事をすることにしました。
息子は、目玉焼きとソーセージ、そしてポテトフライの盛り合わせ。私は一皿目にビエルソ風のハム、(Lacón cocido del Bierzo)、二皿目には、ボティーリョ(Botillo del Bierzo)を選びました。
ワインはグラスワインでは無く、ボトルで一本頼みました。
生まれて初めてボティーリョと言う物を食べましたが、とても美味しかったです。
近くのテーブルには、巡礼中、何度か一緒になった、フランス人の夫婦が食事をとっていましたので、ワインを少し、お裾分けしました。

食事を終え、ほろ酔い気分で、残りのワインを抱えながら、アルベルゲへ戻りました。
食堂で夕食を取っている人がいましたので、その人に残りのワインはあげました。

大部屋は暑くて暑くてたまりませんでした。じっとしているだけで首筋が汗で湿ってきます。丁度ベッドの頭側の壁に小さい窓があるので、そこを開けて換気をしようとしたのですが、開けるためのつまみが引きちぎられていて、開けることが出来ませんでした。息子の所を見たところ、そちらの方はつまみがあって、開くようです。で開けてみたのですが、窓枠がベッドのフレームと干渉して、ほんの少ししか開きません。酷い話です。

暑くてたまらず、トイレへ行き歯を磨いたり、顔を洗っていると屋根裏部屋に部屋を割り振られた高校生のグループの一人が居たので、暑くないか聞いた所、やはり滅茶苦茶暑いと言っていました。彼は本当に苦しそうでした。

暑くて苦しいのですが、明日がありますので、寝なければいけません。で、横になると、窓の外から光が入ってきます。外灯の光が丁度入るようです。それも、調子が悪いのか、外灯は時々点いたり消えたりします。つくづく酷い所だと思いました。

そういうことで、ほとんど眠れませんでした。

camino49
左側が息子のメニュー。中央が私の一皿目、Lacónです。 ワインはCastro Ventosa。ラベルは安っぽい感じがしますが、有名醸造家、ラウル・ペレス氏のワイナリーで作られているワインです。

camino50
ボティーリョの外観です。豚の大腸に詰めてあります。

camino51
中身はこんな感じです。骨とか、すじっぽい所の肉など雑多な部分が入っています。

camino52
ワインを注いでいます。

camino53
民営のアルベルゲ。今度はこちらに泊まりたいです。

camino54
私達が宿泊したアルベルゲ。 画像はGoogleMapから拝借しました。

 

6月29日 巡礼5日目 ポンフェラダ-ビリャフランカ・デル・ビエルソ その1

今日は6時半頃から歩き始めました。
市街地を抜け、住宅がぽつぽつと建つ郊外まで来ました。ここは小さな教会が建ち並ぶ区域でもあるらしく、遠回りとなるのですが、巡礼のコースとなっているようです。リスがいるのが見えました。
私の住むバリャドリッド市内の公園にもリスが居るので、そんなに珍しくは無いのですが、英語を話す青年がすごく珍しがり、写真に撮れと勧めてきました。背景を説明するのも面倒だったので、数枚写真に撮りました。

カンポナラヤの村には郵便局があったので、200ユーロほど、お金を下ろしました。
昨日、ポンフェラダの街のキャッシュ・ディスペンサーでお金を下ろそうとしたのですが、銀行が日曜日で無人と言うことで、セキュリティ対策として使用の制限がかけられていたらしく、お金を下ろすことが出来なかったのです。
都市部にあるお店を除くと、カードでの支払いは、まず出来ません。現金が無いとどうしようも無いのですが、これでしばらくお金の心配はしなくて済みそうです。

カスカベロスの村では休憩時に妻にお土産を買いました。息子はペンダント、私はブレスレットを選んで購入しました。巡礼中は身につけていて、サンティアゴに到着したら、迎えに来てくれる妻に渡すつもりです。

カスカベロスの村から本日の目的地であるビリャフランカ・デル・ビエルソまでは、街道沿いの砂利道を延々と、ずっと歩くことになります。丁度、欧州に熱波が到来しているらしく、とても暑く木陰が全く無い道を歩くのは非常に辛かったです。

息子もやはり辛いらしく、どうしても歩く速度が遅くなりがちでした。

結局、ビリャフランカ・デル・ビエルソのアルベルゲに到着したのは2時過ぎでした。暑くて本当に疲れました。

その2に続きます。

camino41
ポンフェラダの街を後にし、ビリャフランカ・デル・ビエルソまで向かいます。道に迷わないように、所々ホタテ貝をモチーフとしたブロックが埋め込まれています。

camino42
リスがいました。

camino43
猫が付いてくるのが、非常に気になるようです。

camino44
猫はさっさと先に行ってしまいました。

camino45
ブドウ畑の中をこんな感じで進みます。

camino46
ペンダントを買いました。

camino47
最終目的のサンティアゴまで、220キロです。まだまだ遠いです。

camino48
最後は、こんな感じの道を延々と歩きました。

 

6月28日 巡礼4日目 アセボ-ポンフェラーダ

宿泊先のアルベルゲでは、朝食も皆で一緒に食べることになっていました。私はコーヒー、息子はココアを飲んで、パンを少しだけ食べて出発しました。きちんと朝食を取ってから出発すると言うのが正統的な歩き方なのでしょうが、普段コーヒーしか飲まない私には、朝食を取ってから出発すると言うスタイルがとれませんでした。息子は普段きちんと朝食を取るので、今考えると、自分の都合で申し訳ないことをさせてしまったと反省しています。(息子に朝食を食べた方が良かったのか?と聞いたら「大丈夫、大丈夫。そしてもう終わったことだから。」と答えられました。)
さて、巡礼ですが、村を出てからはしばらく舗装した道が続きました。途中で私の隣のベッドで寝ていたドイツ人の女の子が真っ赤な顔をして戻ってきました。「どうしたの?」と聞くと、「杖を忘れた。」とのこと。急いで取りに戻っている途中のようです。しばらく行くと、道路の端に、ゴロンと1つリュックサックが置いてあるのが目に留まりました。ドイツ人の女の子の物だと思われます。彼女、焦っていたみたいで、置く場所も気にしないで戻ったようです。まぁ、誰も盗む人はいませんが、人工物である彼女のリュックは一際目立ちました。

途中、集落を抜ける途中、羊の群れに遭遇しました。毛を刈られているのに気づかす、また羊は毛むくじゃらという固定観念があったので、ずっと山羊だと思っていました。友人に写真を見せて、山羊では無くて、羊だと判りました。

多分、牧羊犬だと思うのですが、ずっと二匹、息子の後を付いてきます。それも、しつこくピッタリと寄り添う訳で無く、ある程度の距離を保って付いてくるのです。大きな声で、あっち行け!!と言うと、ちょっと離れるのですが、やっぱり付いてきます。

しばらく行くと、広場に仮設のバルがあったので、休憩を兼ねてスタンプを貰うためにコーラを飲む事にしました。
そこでは、シェパードが放し飼いにされていたので、息子に張り付いていた二頭の犬は、さすがに近づくこと無く、どこかへ行ってしまいました。

休憩が終わり、ちょっと進んだところで、放し飼いのシェパードがワンワン吠えているのが見えました。どうやら、二頭の犬が彼女のテリトリーに入ってきたようなのです。大きなトラブルにはなっていそうでは無いようでしたので、これ幸いとばかり、急いでその場を後にし、二頭の犬と離れることが出来ました。
そうこうしているうちに、モリナセカに到着しました。ミシュランのガイドブックでは、前日、アセボで止まらず、ここモリナセカまで来ることになっています。出発地のアセボから8.5キロの地点ですので、ここではちょっとだけ休憩して、今日の目的地であるポンフェラダまで行くことにします。残り8キロの行程です。

ブドウ畑を抜け、1時過ぎにポンフェラダに到着しました。ここのアルベルゲは、設備が新しく綺麗な上に、ウェルカムドリンクとビスケットも用意してある。台所は大きく食器もある。そしてビールも入っている自動販売機、スニッカーズみたいなチョコバーの自動販売機もあるという、とても素晴らしいところでした。

入館手続きを終えのんびりしていると、武田さんに出会いました。9時(10時だったかな?)に到着したそうです。私達はもちろんですが、巡礼者は朝が早いです。

シャワーを浴びた後、いつものように洗濯をし、その後食事をしに、繁華街まで出かけました。息子が、ピザを食べたいというので、イタリア料理店に入りました。テラス席に座ったところ、いままで付けていたと思われるサングラスが無いことに気づきました。アルベルゲからレストランまでどこにも寄っていないので、無くなる訳は無いと思うのですが、やっぱりありませんでした。どうやらどこかで無くしたようです。意気消沈して、頼もうと思ったワインも頼まず、水を飲み、適当に食事を終えました。非常にショックでしたが、仕方がありません。

レストランで食事をした後、アルベルゲに戻りました。食事を終えたばかりですが、夕食のことも考えなければなりません。日曜日でしたので、一般の小売店は開いていないのですが、ガソリンスタンドに併設されているスーパーマーケットは開いていると言うことなので、そこまで歩いて行くことにしました。昼の四時過ぎ、歩いている時ふくらはぎ部分が非常に熱かったです。(後日見たところ、見事に日焼けをして、バリバリに皮が割れてしまっていました。)

ガソリンスタンドはどこの村でも同じ様に、村に入ってすぐの場所にありましたが、アルベルゲも、村の中心では無く、端っこに位置していましたので、1キロほど歩くだけで、ガソリンスタンドに着くことが出来ました。

巡礼者も客層として考慮してあるのだと思います。欲しかった物を入手することが出来ました。あと、ずっとコーラを1缶1.2ユーロとかの僻地価格で購入していたのです。ここで60センティモとかの、通常価格で購入したのですが、なぜこんなに安いのだろう?と一瞬不思議に思ってしまいました。

ガソリンスタンドで夕食の食材を購入した私達は、8時過ぎに夕食を取りました。
息子は、カップ麺を主体に、出来合いのトルティーヤと食パンです。バゲットタイプのパンは、息子の歯の矯正器具が外れやすいから注意して欲しいと妻に言われたので、なるべく食べさせないようにしました。

武田さんから、レタス半分ドンと頂いたので、細かくちぎって、食堂に置いてあったひまわり油と塩と酢で、サラダにして食べました。

camino26
アセボの村から、しばらくこの様な舗装道路が続きます。

camino27
途中、この様な足場の悪い所も通らなければ、いけませんでした。 まだ、歩き出したばかりなので、足場が悪いのを楽しめる、余裕がある顔をしていますね。

camino28
羊の写真を撮っています。

camino29
犬が付いてきます。

camino30
大きいのですが、おとなしそうな顔をしています。

camino31
途中のバルで飼われていた犬です。

camino32
割と足場が悪いです。

camino33
ご機嫌で歩いています。

camino34
地面に道案内の矢印が書いてありました。

camino35
山ばかりです。

camino36
右側に見えるのが、ポンフェラダの街です。あと何キロあるのでしょう?まだ遠そうです。

camino37
ブドウ畑の中で小休憩しました。

camino38
ここのアルベルゲは珍しく一部屋の定員が4人です。

camino39
夕食のカップ麺を食べています。

camino40
カップ麺の他はこんな感じの物を夕食としました。

 

6月27日 巡礼3日目 ラバナル・デル・カミノ-アセボ

今日は7時過ぎに出発しました。朝方は少し肌寒いので、長袖を着て出かけ、8時を過ぎ暖かくなったら休憩時に脱いでいました。このスタイルはサンティアゴに着くまで、ずっと続けていました。

今日はレオンの山越えです。岩が多い道を息子と歩いて行きました。最初は人が多いのですが、道が進むにつれ、人と会う事が少なくなりました。足場が悪い上に、勾配がきつかったりして歩くのが疲れましたが、風景は本当に素晴らしかったです。ミシュランのガイドブックではアセボを抜けその先のモリナセカまで行くことになっていましたが、息子が非常に疲れていましたので、予定通りアセボに泊まることにしました。

アセボではボランティアの人が運営している民営?のアルベルゲに泊まりました。アルベルゲの前で、ベンチに座り、開くのを待っていると、隣に赤ちゃんを抱いた女の人が座りました。この村にスーパーマーケットはあるか?と聞いてきたので、スーパーマーケットとは言えないけど、食べ物を売っている小さなお店はありましたよ。と答えました。ところで、その赤ちゃんを連れて巡礼しているのですか?と聞くと、そうだ。との答え。ちょっとビックリしました。赤ちゃんは14ヶ月で、ソフィアと言う名前だそうです。

12時過ぎにアルベルゲが開き、宿帳に名前などを記入し、ベッドを確保しました。
ここのアルベルゲは、靴だけで無く、リュックサックもベッドまで持ち込めませんでした。一カ所に集められた、靴とリュックからは何とも言えない旅の匂いがしました。

シャワーを浴び、洗濯をして物干し場で干してから、食事に出かけました。近くのレストランで食べたのですが、ここで食べた食事はきちんと作ってあって、とても美味しかったです。

食事を終えアルベルゲに戻ると、天気が良かったので洗濯物はだいぶ乾いていました。洗濯物をまとめ、明日の準備のために荷物をまとめていると、私がはいている半ズボンが見つからないのに気づきました。いやぁ、おかしいなぁ?どこに置いたのだろう?と思っていろいろと探してみると、リュックサックなどが置いてある共有スペースのベンチの上に、私の物らしき半ズボンがありました。私の物の様な気がするのですが、特別な半ズボンでは無いので、自分の物という確信が持てませんでした。
どうしたものかなぁ。と思案してた所、朝方、リュックサックの部品が外れてしまったので、それをポケットに入れたことを思い出しました。ポケットを探した所、その部品があったので、自分の物だと確信しました。どうやらシャワーを浴びた後に、荷物を整理したつもりで、忘れてしまったようです。
その後、この様な時のために、帽子とかシャツのタグに名前を書きました。

最初にオスピタレロから説明があったのですが、ここのアルベルゲでは8時半に皆で夕食を取るらしいのです。その後、9時過ぎに皆で夕日を見に行くとも言われました。

オスピタレロの奥さんが台所で料理を作っているので、息子と二人で野菜を切る手伝いをしました。ジャガイモを切って欲しいと、息子は言われたようですが、まな板を使わずに切るのは息子には難しすぎたらしく、ちょっと試しただけで止めてしまいました。野菜を切ったりゴソゴソと手伝っていると、青年がやってきて、パンに塗るバターは無いか?と聞いてきました。「おまえさん、それはちょっと図々しすぎないか?」と思いました。次に、缶詰の食べ物を暖めたいので、電子レンジを貸して欲しい。と言う青年も来ました。「おまえさん、缶詰なら暖めなくても食べられるだろう。と思いました。」色々な人が居ると思いましたね。

夕食は、サラダと野菜が主体のシチューでした。私と息子は充分に外で昼食を取ってきたと言うこともあり、近くに座った青年に半分位食べてもらいました。若い人はよく食べますね。彼はそれで足りずに何回かお代わりをしていました。

食事の後、くじ引きで、食器を洗う係、余興で歌を歌う係、驚いた出来事を語る係などが決められました。私と息子は幸運にも何もすることが無くすみました。

その後、みんなで夕日を見に行きました。山の後ろに消えゆく夕日はとても綺麗でした。

ここの宿泊費は定額では無く、心付けを支払う方式でした。他の方は知りませんが、私は二人分として10ユーロ支払いました。もうちょっと入れても良かったかな...と後から思いました。

camino15
毎日、この様な格好で歩き始めました。長ズボンも持ってきていたのですが、一度も履きませんでした。

camino16
こんな感じで、足場が悪い所もありました。でも、風景は素晴らしかったです。

camino17
Cruz de Ferroと呼ばれる木の棒の上に、十字架が付いているモニュメントです。巡礼者が持ち込んだ石で山になっているらしいです。 私も石を持ってこようと思ったのですが、家の中庭には石が無かったので、結局持ってきませんでした。

camino18
この様な感じの道が、延々と続きます。

camino19
足が痛くて、靴下まで脱いでしまいました。

camino20
アセボの村はこの坂を下った所にあるみたいなのですが、すごい急坂です。

camino21
バルで、遅い昼食を取りました。なかなか美味しかったです。

camino22
アルベルゲの食堂です。

camino23
こんな感じで、夕食をみんなで食べます。

camino24
アルベルゲの入り口近くの荷物置き場です。私はなぜかここのベンチに半ズボンを置き忘れました。

camino25
アルベルゲで食べたシチューです。

DSC_0013.jpg
みんなで夕日を見に行きました。

 

6月26日 巡礼2日目 アストルガからラバナル デル カミノ

6時半位、夜明け前の薄暗い時に出発しました。
ガイドブックによると、カミノのコースとしてはアルベルゲから教会の近くを通って街を抜けるそうらしいのです。ただそれだけで、具体的に行くべき方向が全く書いてありません。
アストルガが行程の途中だったのなら、来た方向と反対側に行けばよいのでしょうが、私達にとって、ここアストルガが始点なので、どこに抜けたらよいのか、全く見当が付きませんでした。

「分かれ道には黄色い矢印が在る。」という事は事前の知識として知っていたのですが、初日なのでよく勝手がわからず、不安を抱えながら街中に向かって歩いて行きました。
丁度良い具合に、前の方を東洋人の女の人(多分韓国人)が歩いていたので、彼女に付いて行くことにしました。

しばらくしてちょっと余裕が出たのだと思います。道路に小さな照明が埋め込んであるのに気がつきました。どうやらこの照明を頼りに街を抜けられるようになっているようです。これを知って、だいぶ落ち着いて歩くことが出来るようになりました。
7時過ぎに街を抜け、まずは舗装されている道路の歩道を歩いて行きました。
数分歩くと、道路左側に小さな教会が見えました。Valdeviejasの教会のようです。教会入り口で寝袋にくるまって寝ている人にちょっと衝撃を受けつつ、中に入って見学をしました。教会でスタンプをもらう時は、まず教会に入ってから、スタンプを押してもらうのが、マナーのようです。これが記念すべき第2号(1号はアストルガのアルベルゲで押してもらっている)のスタンプです。

その後、延々とまっすぐな砂利道を歩いたり、ちょっとした林を抜け、Rabanal del Caminoに到着しました。足はそんなに痛くは無かったのですが、ここで人生で初めて肩こりという物を知りました。肩の筋肉が固くなっているのが、はっきりと判りました。多分背負い方が悪かったからだと思います。

Rabanal del Caminoでは村の入り口にある私営のアルベルゲ「La Senda」に泊まりました。息子は、これ以上歩けないと、ぶーぶー言っていましたので公営のアルベルゲを探すのをあきらめたのです。
私営でしたが、代金は一人5ユーロで悪くなかったです。ただ、同室の女性の咳が酷くて心配になりました。翌日聞いてみた所、タバコを吸うからだと言っていました。

camino9
Valdeviejasの教会です。ここで歩き始めて初めてのスタンプを押しました。写真はGoogleMapから拝借しました。
camino10
延々とまっすぐな砂利道が続きます。砂利道ですが、高低差が無いので、歩きやすい道です。
 camino11
バルで一休みしました。息子はオレンジジュース。私はビールを飲みました。
 camino12
昼食です。プラトス・コンビナードスと呼ばれる、一皿に盛ってあるメニューを頼むことが多かったです。
 camino14
アルベルゲの中です。定員は10名ですが、泊まったのは5人だけでした。
 camino13
夕食です。ボカディーリョは大きく、息子は食べきれませんでした。

2014年から、レストランでは、再利用出来ない容器に入ったオリーブ油を客には提供しなければいけない。と法律が改正されたのですが、山間部のレストランでは、遵守している所、少なかったですね。